佐藤亜紀『小説のタクティクス』

 

小説のタクティクス (単行本)

小説のタクティクス (単行本)

 『小説のストラテジー』の続編とのことだが、小説論というよりは絵画、映画、小説を題材とした人間論。
 「ストラテジー」がある種普遍的な手法や構造といった形式面を扱うとすれば、タクティクスはそのような形式を生み出したあとには消えてしまう蝋型のようなもの。思想、人間観といってもいいかもしれない。それはその場限り、一回限りの使い捨て。蝋型のように完成品から抜け落ちるものとして扱われる。
 薄皮一枚を薄皮だと認識もすることなく、その上だけを世界だと認識して眺めていればよかった時代は過ぎ去り、今では薄皮の上で四つん這いになり、向こう側にある「事実」の触診を続け、接近を試みなければならない。もはや固有の顔は生み出せない。顔が生まれてしまうとしたら、それは薄皮の下にあるものをなかったことにして済ませてしまう美学化の操作によってだろう。もはや人間の顔は蝋型を欠いたデスマスクとしてしか描けない、ということだろうか。ありうべき顔、顔があったはずの空間のまわりを言葉や映像の繊維で繭状に包むことによってしか、顔、ひいては人間に接近することはできなくなっている。無邪気に人間的な人間の顔を造型し、人間的な心を内蔵させる行為は、顔のない他者の存在に鈍感な暴力として働く。人間の未来を想像することもしかり。人間には未来はない。ただ偶然の積み重ねが現在のネガを現像し続ける。現像された一葉の現在を拾い上げ、それを比類なき「出来事」として認識し、その読みとれない空無のまわりに足場を仮設していく営みこそが必要とされているのかもしれない。
 小説はとっくに死んでいる。(映画も絵画もすでに死んでいるかもしれない)。しかし死んでいるからこそ、人間のデスマスクを象るには適切な表現の方法なのかもしれない、とも思う。ただそのようなデスマスクを眺めたいという人は一握りだろう。大方の人間たちは人間的な顔を見たいと思うものだ。わたしはデスマスクを仮構する営みを愛する一方で、人間的な顔が空無を包む肉と皮に過ぎないことを突きつける読みの力を信じてみたい。
小説のストラテジー (ちくま文庫)

小説のストラテジー (ちくま文庫)