キノコ雲と廃墟のあわい

 もろもろ。ラム肉の焼肉もどき炒め(?)。
 相変わらず筋肉痛に悩まされた一日ではあったものの、少し痛みが軽減した。ただ擦り傷のある左足のほうは、おそらく乳酸と何かの相乗効果で右足よりだいぶ腫れているため、かなりきつい。ひったくりや追いはぎに遭いませんように。
 
 

ここではない場所―イマージュの回廊へ

ここではない場所―イマージュの回廊へ

 私が持っている本の中で、おそらく唯一書き込みもページの折り曲げもされていないまっさらな本。現代批評理論の痕跡を色濃く残していた『クレオール主義』から徐々に詩的転回を果たした今福による、論理的/理論的言語に代わってその欠如と過剰を時に補い、時に削る詩的実践に貫かれた異色の著作。
 様々な講演録や原稿が、時差と視差の介入を受けながら空間を跨ぐ。幾多の映像や図像の断片の傍らで、著者自身の文章がイマージュの回廊を緩やかに蛇行しながら進んでいく。詩文とも論文とも判然としないようなスタイルで綴られた文章が、ページの上下左右に挿入されるイマージュの数々と緩やかに交わる。例えば、原爆のイマージュと。
 「映像による占領―戦後日本における写真と暴力」は、もともとは今福がサンパウロで執筆し、ブラジルの聴衆を前にして披露し、後にそれを沖縄を巡る論考へと接続し、最終的にひとつの章として体裁を整えた原爆論。エノラ・ゲイから撮られた有名なキノコ雲の映像を「上からの記憶」として位置づけ、その「暴力の表象」が日本人/アメリカ人問わずに浸透していく「表象の暴力」を問題視する。とはいえ、広島や長崎の原爆資料館に展示されることで、被爆/被曝の残骸が寄り集まってひとつの公的記憶となった「下からの記憶」もまた、「上からの記憶」にとって代わろうとするという意味において、同じく「表象の暴力」を秘めている。ばらばらの記憶が秩序を形作り、公的な記憶となる時点で、そこから零れ落ちる様々な声や光景は隠蔽される。「上からの記憶」も「下からの記憶」もイマージュの正統性を競いあう中で、それぞれの政治的言説から抜け落ちる余剰や残余の存在に無頓着とならざるをえない。いみじくも、1995年スミソニアンの展示を巡る論争とその帰結は、両者の対立を鮮明にする一方で、両者の調停不可能性を白日の下に曝した。
 今福は、「上からの記憶」/「下からの記憶」という調停不能なイマージュの対立の隙間に、東松照明が戦後に撮影した一連のイマージュ群を差し挟む。東松の写真は、加害者/被害者双方が主張する「静止した時間」(キノコ雲/焼け焦げた弁当箱・止まった時計)にイマージュと記憶の変容を折り込み、「経過した時間」を持ち込む。時間の経過が指し示す時差は、加害者/被害者の温度差と視差を表象し、それぞれの写真の中で両者を調停しようとする。
 原爆の記憶は、敗戦国・日本の周縁であり、また戦勝国アメリカの前線でもある沖縄のイマージュ群へと接続される。イマージュ群は、今福が綴れ織る物語によって、複雑な記憶の「踊り場」として浮かび上がり、読者の絶えざる(再)解釈を誘う。加害者/被害者のイマージュが喚起した停止した時間、定位された場所を東松のイマージュの連なりを辿る中で少しづつずらし、再定位しながら、読者は「ここではない場所」をぼんやりその軌跡の残像の中に幻視する。今福のエクリチュールは、イマージュとイマージュとの間を切り結びながら、イマージュに内在する想像力の増幅を喚起する触媒、ただしその過程において徐々に姿を変える触媒らしからぬ触媒としてイマージュの回廊を徘徊し続ける。
 正しさの追求は、いつの時代にも必要な作業となる。しかし、議論の回路が確保されていないうちに正しさを追求しても不毛な対立を生むだけだ、と思う。ましてや、戦勝国も敗戦国も共に加害者/被害者を抱え込む戦争のような例外的な事件を前にして、イデオロギー的正しさ(実証性ではない)の追求は、怨嗟の連鎖を生むだけとなる。イマージュの回廊のような余韻や残響が響く場所、「ここではない場所」をイメージして初めて、戦争の記憶は時空間を越えて共有され、引き継がれていくように思う。といっても、『はだしのゲン』は名作なので週末観る。