吐き気の統制

写真論

写真論

 

 アーバスの作品は資本主義国での高級な藝術のひとつの指導的な傾向、つまり道徳的・感覚的な吐き気を抑える、あるいは少なくとも減少させる傾向の好例である。近代芸術の多くは不愉快なものの敷居を低くすることに熱心である。あまりにショッキングだったり、痛ましかったり、当惑させたりで、以前は見聞きするに耐えなかったものに私たちを慣らすことによって、藝術は道徳――情緒や自然感情からいって、我慢できるものとできないものとの間にあいまいな線を引く、あの精神の習慣と公衆の是認という代物――を変えるのである。自然に吐き気を抑圧することによって、私たちはいくぶん公式的な真理――藝術と道徳が構築したタブーは気まぐれなものだという真理に近づけられる。しかし、映像(映画と写真)と印刷で増大する一方のこのグロテスクなものを、私たちが消化する能力をもつことは途方もなく高いものにつくのである。結局それは自我の解放ではなく、自我からの控除、つまり恐ろしいものへのいいかげんな慣れが疎外を助長し、現実生活に反応しにくくさせるのである。(48)

道徳感情からの疎外、感性の鈍磨をもたらすのは、吐き気を催すものの概念化=審美化だということだろうか。あるいは、藝術という形式・枠組みが写真のそれと同一視される場合、その被写体がもつ吐き気誘発性は中和されてしまうのだろうか。道端の潰れたミミズに怖気を覚える人が、絵画の中の屍体に美を感じるように。