越境するアメリカの女たち

越境する女―19世紀アメリカ女性作家たちの挑戦

越境する女―19世紀アメリカ女性作家たちの挑戦

御恵投いただいた論文集をひとつ。
『越境する女』は、十九世紀アメリカ文学の若手研究者が、アメリカの女性作家をその外部との影響関係、あるいは文化越境(transculturation)の許に捉えなおすという論文集。
ポストコロニアル研究を経て、ギルロイの間大西洋的想像力も古典となった今、アメリカ文学をひとつの例外的な国民文学として締めつける、コルセットのような旧套は、ずいぶん時流から外れたものになった感じが否めない。各分野でそうした閉鎖的な思考を突き崩す試みがとっくに始まっているが、これはその好個の例となる極めて質の高い論文集だとわたしは思う。
身銭を切っていないいただきものなので、以下、内容の概略にとどめる。

高尾論文は、マーガレット・フラーの思想にアメリカ土着の超絶主義とは縁遠い、同時代のイタリア革命思想の影響を読む。新聞の特派員として、また従軍看護師としてヨーロッパを体験したフラーは、一八四九年のローマ共和国成立に尽力したジュゼッペ・マッツィーニの共和主義思想を摂取する。感情によらず理知的な精神を信頼し、聖書における歴史的な神ではなく人格的な超越存在としての神を仰ぎ、超国家的な上意下達による革命ではなく民衆から望まれた革命を目指すマッツィーニは、フラーにとって黙示録的預言者のような存在だった。フラーはローマ革命についての書物を公刊することはなく、その原稿も現存しないが、ローマ革命の時代のイタリアを身をもって体験し、共和主義と社会主義の折衷する未来を思い描いていたという。
大串論文は、ユニテリアン論争を背景にしたエライザ・バックミンスター・リーの『ナオミ』を題材に、不寛容なニュー・イングランド旧大陸心霊主義とも一脈相通ずる、宗教的寛容の可能性を切り開く来たるべきスピリチュアリズム、すなわちアン・ハチンスンと交霊するかのごとき「人里離れたところに追放された魔女が体現するような知の体系であり、ふたつの異なる世界を繋げようとする思想」の存在を指摘する。
中村論文は、南部から逃亡した元・奴隷クラフト夫妻の体験記、ならびに妻エレンの生涯に、異性装、沈黙、ロンドン万博でのパレードにおけるハイラム・パワーズ作の彫刻「ギリシャの女奴隷」の転覆的模倣、といったスペクタクル化の諸相を指摘したのち、文字テクストである体験記に刻印された文盲エレンの声を聞き取るさらなる沃野の展望を示唆して閉じる。
辻論文は、逃亡奴隷の体験記『自伝』で知られるハリエット・ジェイコブスの手紙の戦略に注目、特にハリエットが当初『自伝』をイギリスで出版しようと目論んでいた事実を背景に『自伝』のなかで語りかけられる「含意された読者」にイギリス人とアメリカ人とが二重写しになっている点を指摘、『自伝』公刊後も奴隷解放後行く当てのない高齢の黒人のためのホーム設立資金をイギリスにおいて募るなど活動を展開したハリエットの手紙の戦略について考察している。
本岡論文は、ルイザ・M・オルコットが南北戦争時に看護師として従軍した体験をもとにした『病院のスケッチ』に、ナイチンゲール由来の看護思想と、そのアメリカにおける実践者ディックスの影響を認め、その相互影響のもとに、オルコット自身の看護nurseの思想の発露を見出す。女性運動や国家への貢献という大義ではなく、あくまで顔を持った一個人に寄り添うオルコットの看護に対する姿勢は、子育てや介護をも含む多義的なnursingの実践ともなり、彼女の作家としての脊椎を成しているという。
城戸論文は、ナサニエルホーソンの妻として夫の作品の編集にも携わっていた件で近年注目を集めるようになったピーボディ姉妹の三女ソファイア・ピーボディを、病気療養旅行記キューバ日誌」の読解を通じてひとりの独立した作家として評価しようと試みる。「日誌」という形態ながら、超絶主義者たちの習慣に照らしそれは公的な性格を帯び、また超絶主義思想の影響下にある自然の記述やキューバの風俗描写、そして本国アメリカにも根を張る奴隷制の暴力性について切々と訴える手際には、一己の作家として扱うべき文学性が認められるとする。
倉橋論文は城戸論文を受け、ピーボディ姉妹の次女、メアリーがソファイアと時を同じくしてキューバに滞在していた際にその草稿をほぼ完成させていた物語『ファニータ』について紹介している。主としてキューバにおける奴隷制、およびカースト制度について描いたこの物語は、経済原理を優先し道徳的問題を放置していたキューバの支配者層が奴隷に家政の実権を握られ葛藤するさま、被支配者層が優れた能力を持ちながら身分の違いを乗り越えられないその隷属性、またアメリカ作家としては例外的に奴隷の抵抗を焦点化している。また同作は、ニューイングランド人らしくリベラルな教育によって奴隷制を内側から変えていく可能性を示唆している。ホーソン作品中の従属する女性像にも影響を及ぼしている可能性が高いピーボディ姉妹の書き物を、アメリカン・ロマンティシズムの中枢を占める作家のテクストとつき合せて読むことの意義が説得的に論じられている。
大野論文は、ストウ『アンクル・トムの小屋』にハイチ独立と黒人奴隷のリベリア送還思想の影響を読む。ストウは、ハイチ独立の英雄トゥサン・ルヴェルチュールのような革命の指導者となり得る資質を作中の逃亡奴隷ジョージや奴隷の女中キャシーに認めているように見えるが、それらの「革命分子」はことごとくリベリアへと送還される運命にある。『アンクル・トムの小屋』は、アメリカの奴隷制がたんに国家の身中に巣食う宿痾なのではなく、間大西洋に広がるさまざまな思想が蝟集した溶鉱炉であるということを身をもって示している。
内堀論文は、リディア・マライア・チャイルドの信仰生活に仏教の介入を読みこむ。まずは一八四四年にエリザベス・ピーボディの手によってアメリカに仏教が「伝来」し、それが超絶主義者たちのサークルで大きな影響力をもっていた事実を紹介。次にチャイルドが父権的なカルヴィニズムに対して懐疑を抱き、やがて多様な宗教観のなかでそれを相対化し、独自の信仰を育んでいった過程が明かされる。汎神論から全人類的な同胞の絆にいたるまで、「感情と理性」が一致する信仰を追求するチャイルドの歩みには仏教の影響が色濃く見られる。閉じることなく上昇していく螺旋の運動という直線的でも円環的でもない独自の信仰のイメージを掴み取るチャイルドの足跡を追う。
なお、巻末にはメーガン・マーシャルによるマーガレット・フラーの伝記の序章が訳出されている。