からだに自由はあるのか

女のからだ――フェミニズム以後 (岩波新書)

女のからだ――フェミニズム以後 (岩波新書)

思想史や概念史ではなく、身体の所有権をめぐる運動・アクティヴィズムの現代史。
世界中で翻訳・翻案・改稿されたOBOS(女性のからだにかんする専門知・世間知を総合した書籍)の遍歴、中絶や避妊をめぐる日米の運動、優生保護法の問題など。男社会との闘争のみならず、フェミニズム内部の騒擾・相克が活写されている。
女性運動はもともと一切女性には認められていなかった財産権の獲得を目指して始まったものだとわたしは理解しているが、身体をめぐる争いももっぱら身体の所有権の主張に尽きる。その帰結が「生殖産業」という権利と倫理が交錯する領域なのだろうと思う。「現代の女たちのからだをめぐる「自由」や「解放」は、多分にテクノロジーと資本主義市場に依存することで達成されたものなのだ」という著者の言はその限界を鋭くえぐっている。自由や権利が資本の運動と軌を一にして取引され蓄積されるものだとしたら、労働ではなく蓄積した経済資本から禄を食むものだけがより(資本主義的な意味で)自由な身体を所有でき、その他のものにとっては不可触な栄光の身体が聖別されることになるだろう。
自由だとされているものを手に入れたとき、果たしてそれはどういう自由なのか、と問い直してみる必要があるようにわたしは思う。「わたしのからだ」、というときに、それは果たして「わたしの」からだなのだろうか。


関連:
『からだはどこにある?』書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20060421
「サイボーグ宣言」書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20140206/1391692570
『原子の光』書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20130827/1377582885
ジュディス・バトラーによるアドルノ賞記念講演→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20121230/1356892486
『エロティック・アメリカ』書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20131210/1386652785
『自由とは何か』書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20080208
オリンピックの女子フィギュアを実況しながらの『不自由論』書評→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20060222