想起の文化

思想 2015年 08 月号 [雑誌]

思想 2015年 08 月号 [雑誌]

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帰省中に岩波の『思想八月号 想起の文化特集』を通読した。収録論文の概要は以下の通り。
記憶と歴史をめぐる内外の研究動向を概観した栗津論文。
忘却モデルよりも想起モデルのほうが未来志向であることを論証するアスマン論文。
求心的な慰霊地をもたない海洋上の慰霊という離散的な想起のモデルを提示する西村論文。
日中戦争における対日協力者がいかにして記憶されてきたか「順口溜」という歌やオーラルヒストリーから探る石井論文。
変わりゆくひめゆり平和祈念資料館の展示法を解説する普天間論文。
ホロコーストの記憶を遠心的に街路に配置し、空間的な想起経験として構築するドイツの試みを紹介する安川論文。
広島原爆ドームの保存反対から保存に至る過程と補修が終わった後原爆投下後の時間までが凝固するというアイロニーを記述する福間論文。
ソ連の対独戦戦勝を記念する「スターリングラード」の記念碑のありかたをめぐる論争を扱う前田論文。
ジェラール・ノワリエル『フランスという坩堝』を中心にして、サルコジに代表される移民第一世代の「移民現象が国民的な記憶の正当な一部であるという考え方」と新移民に対して烙印を押すという逆説的な操作を問題にする大中論文。
植民地主義の歴史が生み出すマリアナ諸島チャモロ人の記憶について論じるカマチョ論文。
ボスニア、特にサラエボにおける内戦と民族・宗教の多様性、及びパレスチナ人がイスラエル人として同化していく動向にネーションの問題系を超える複雑な集団アイデンティティの問いをみる立田論文。
リクール『歴史・記憶・忘却』が歴史と記憶の問題系を包括的に扱いバランスをとることを目指した大著であることを指摘、グローバルな記憶、外部記憶、そして過去の死者に対する負債の問題を再考する必要性を説く佐藤論文。
この佐藤論文の末尾における負債の倫理は、広島原爆慰霊碑に刻まされた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」の碑文を退け、むしろいつまでも眠れない死者との共闘、慰霊や鎮魂では済まない想起の倫理の要請を説く末木の巻頭言http://www.iwanami.co.jp/shiso/1096/kotoba.html へと差し戻され、過去ではなく死者に対する負債の倫理を想起しなおすことになるだろう。
最近「ごはんをつくって待ってくれるおかあさん」を反戦の動機のひとつとして挙げた大学生のスピーチが議論を呼んだのは記憶に新しい。前田論文における以下の論述は、このような素朴な心情がはらむ政治性を想起・再考するうえで参考になるだろう。

マーティン・メイリアによると、独ソ戦開始まもなく社会主義国家防衛から「母なるロシア」防衛へとイデオロギー上の転換が生じた。例えば、独ソ戦反帝国主義戦争ではなく、「大祖国戦争」と名付けた点にもそれが現れている。一八一二年のナポレオン戦争「祖国戦争」は、国民的戦争としてロシア人の記憶に深く刻まれていた。実際、西部の国境は呆気なく突破され、ドイツ軍の支配下に置かれたため、前線となったのはロシア中部地帯だった。スターリン「国民は我々共産主義者のためには戦わないが、母なるロシアのためには戦う」とはっきり認識しており、社会主義のための戦いというスローガンを捨て、国民の愛国心に訴えることにしたのである。この転換を物語るのが、一九四一年に現れた国民に志願を訴えるプロパガンダポスター「母なる母国が呼んでいる」である。このときまで、ソヴィエト政権は決して寓意的女性の視覚イメージを用いなかった。初期ソヴィエトポスターの図像学的分析で知られるヴィクトリア・ボンネルは、母なるロシアMatushka Rossiiaの像を帝政ロシア二月革命政府が好んでいたため、ソヴィエト政権としては避けざるをえなかったと指摘している。新しい国家のシンボルは過去との決別を意味すべきだったからである。にもかかわらず、勝利の女神に端を発する寓意的女性像を復活せしめたことは、国家存亡の危機に瀕していたことを如実に示す。(163-64 強調筆者)