続・奴隷制は儲かるのか

 もろもろ。弁当。

 凱旋門賞日本馬二頭出しの可能性すらあったのに、一方は故障発生、もう一方は馬インフルエンザと、まあついてない。メイショウサムソン陣営には参戦の意志があるようだが、果たして順調な調整過程の途上、突如降りかかった悪夢の一頓挫がどう影響するか。サムソンは万全ならば勝負になる馬だけに、画竜点睛を欠くことになった今回の騒動は実に残念。

 何が産まれるかと思いきや、ボノだったのか。→http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070819-00000006-spnavi_ot-fight.htmlなかなかいいポジションを見つけたようだ。それにしても、もう少しプロレスラーらしいコメントをして欲しいのだけど。新日の試合後のコメント、ちょっと謙虚すぎるかなあ。

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 (続き)
 奴隷制はその初期においては、間大西洋貿易を統合する役割を果たしたが、18世紀も終わりに差し掛かると、経済の中心は温帯域へと移行し、次第に自由労働が奴隷労働に取って代わっていった。アメリカ経済を推進したのは、奴隷制ではなく、(北部での)奴隷制の廃止だった。そうした経済の趨勢から取り残された南部経済は、奴隷制を自己目的化する方向へ突き進んで行った。もっとも致命的だったのは、大プランテーションを経営する支配層を除いて、奴隷はもちろん、貧乏白人たちに対しても、インフラやアメニティ(教育・工場・鉄道など)に対する投資を怠った点である。結果、経済的格差が広がり、固定化される中で、北部/南部の住人ひとりあたりの収入の水準は2:1まで開いていった。
法的に奴隷や貧乏白人の政治参加は閉ざされたままであり、また資本が一部の富めるプランターへと集中する中で、政治=経済体制としての奴隷制は階層秩序の維持を自己目的化して経済的発展の可能性を閉ざしていった。そうした閉鎖的な体制は奴隷制以後も形を変えて存続する。ヒエラルキーの維持は、再建期を経た新南部にも引き継がれ、元奴隷である黒人たちに対してだけではなく、富裕層以外の白人を始めとする持たざるものたちに対しても教育や福祉といった投資は行われなかった。そうした非民主主義的な政治を底流させ、流動性を担保しないまま北部経済の流入にただ曝された南部は、学校教育などのインフラ/アメニティに対する慢性的な低投資状態に陥り、経済的に退行していくこととなった。Wrightは、以上のような形で、南北戦争を決定的な断絶とは見ない、部分的に連続した南部史を提示している。
 未だに巷間伝えられることの多い、「南北戦争が南部の文化・経済を破壊し、そのトラウマから立ち直るために南部は長い時間を要した」といった類の物語のみを消費するのでは<片手落ち>になってしまう。その手のノスタルジックな物語が、20世紀初頭の南部人の劣等感を慰撫したことを忘れてはならないが、南部がそうした心理的ダメージ以上に奴隷制経済の呪縛から逃れられなかった点も同時に理解しておかなければならないと思う。
 はてさて、著者が途中告白するところによれば、データを示しながら奴隷制の史的変遷を丁寧に説明した後でもなお、 "slavery is cheap labor" という思い込みから脱せない学生が多いそうだ。どっこい、1860年の大統領選挙での候補者の演説に拠れば、ミシシッピ州の全奴隷の資産的価値は28億ドルというとんでもない額だったわけだから、安いわけがない。*1それだけ高価な資産を蓄積し、維持するために、南部の富裕層が他の投資をする余裕がなかったのはいうまでもない。奴隷制擁護論者は、奴隷がいるおかげで南部人は大部分の労働から逃れることができ、文化的活動に多くを費やすことができる、と主張していたというのを何かの本で読んだことがあるが、実情はこれと正反対。文化に投資するような余裕など南部人にはなかったということ。

*1:ちなみに、1860年の南部の総資産のうち半分は奴隷の資産的価値が占めている。