『ビリー・バッド』

ビリー・バッド (光文社古典新訳文庫)

ビリー・バッド (光文社古典新訳文庫)

 『東大アイラー』(だったかな?)やブルース論でおなじみの訳者による新訳。すばらしい。
 

 イギリスの軍艦に強制徴用された褐色の美青年ビリー・バッド。白皙の先任衛兵長に謀叛の罪を着せられた吃音持ちのビリーに反論の言葉はなく拳で応戦、先任衛兵長を艦長の目の前で殺してしまう。陸の上であればまだしも、軍の法規が適用される軍艦の上でビリーに情状酌量の余地はなく、秩序擾乱の廉で絞首刑に処される。
 身体的に非の打ちどころのない美青年ビリーは、無垢の人として語り手に造形されている。強制徴用された他の下級乗組員を象徴するかのごとく言葉に欠け、労働する身体のみが焦点化されるが、ただ違うのはビリーの身体が美的に傑出し、魂の高潔さ・無垢を「体現」したイコンとして語られるという点だろう。美の形象としてのビリーは、徹底的に見られ、語られる。あるいは、命令を受け、黙々と働く下級乗組員の境遇を、彼はその美的受動性において代表しているとも言えるかもしれない。
 ビリーが吃音者という言語的弱者であり、抗弁の力を欠いているという特性も、彼の無垢を裏打ちする。しかし無垢は無知へ裏返る。美学化され、崇めたてまつられる身体は、知に働いてはならない。吃音は身体の欠陥であってはならず、あくまで無垢=無知(innocence)を沈黙によって証し立てる身体の長所でなければならない。したがって、ビリーの抗弁が言葉ではなく身体によって行使されるという事件のあらましは、彼の身体に嘆息を漏らす他の乗組員たちにとっては実に辻褄の合う話なのかもしれない。依然として沈黙する身体は、小賢しい言葉に汚れていない、畏怖すべき美しい身体のままだから。かくしてビリーは崇められながら惜しまれながら処刑される。美しいもののまま死んでいく。死ぬことによって非の打ちどころのない美になる。決して裏切らない、貞淑な美になる。決して壊れない、彼の魂のような美だけが残る。
 ビリーを裁くものは手を汚さない。艦長以下、誰もがビリーを愛している。ビリーを裁くのは、艦長の口を吐いて出る法的な言語だ。軍規と、別の艦で乗組員による反乱が起きたというコンテクストが艦長の行使する言語の後ろ盾となる。彼はただ忠実に法に従う。盲目的に法に従い責任を回避する(「法とその厳格さに対し、われわれは責任をもたない」)。疑いの余地のないビリーの無罪(innocence)を擁護するなら、それは艦上の秩序を維持する艦長の裁量を逸脱することになる。知に働くのをやめ、情に棹させば法概念はたちまち存亡の危機に瀕する。艦はアナーキーの様相を呈し、階層秩序は顛覆する。ビリーの無罪を宣告する代わりに艦長が艦長として為すのは、無罪の無知で無垢な美への昇華だ。秩序は保たれ、ビリーは美しい魂へと昇華される。かくしてビリーのinnocenceを介し、法(言語)と美とは堅く契りを交わす。
 もちろんビリーが先任衛兵長を殴るとき、ビリーは叫んだ。法廷の場でもビリーは叫んだ。ただ、その声を聴くものは艦上には誰ひとりいなかった。"An Inside Narrative"(副題)は確かに語られた。しかし誰もが調性の異なるその声に耳を塞いだ。法の言語に揺さぶられ喘鳴するパトスの声に。法の許に隠された船員たちすべてを貫流するパトスに。
 
 

 「喋りたまえ! 弁解しなさい!」。この求めにビリーは不思議と言葉を失い、ただごぼごぼという音を発するだけだった。
 
 「君、急がなくてもよいぞ。ゆっくりとな、さあゆっくりと」。落ち着かせようという意図とは裏腹に、父親のような調子で語られたこの言葉が、その実ビリーの心を揺さぶったことは間違いなく、急ぐように促されたかのごとく激しく何か言おうとして
 
 「お前の言うことを信じるぞ、わが部下よ」証人たる艦長は言った。その声は、抑制された感情を表していた。珍しいことだった。
 
 「今のお言葉に神の祝福あれ、閣下!」ビリーはやや吃音混じりに言い、取り乱さんばかりだった。だが、次の質問が発せられたため、すぐに我に返った。答えは同じように情緒不安定な口調だった。