スーザン・ソンタグ書評 「シモーヌ・ヴェイユ」

原文→http://www.nybooks.com/articles/archives/1963/feb/01/simone-weil/ 

Simone Weil
Susan Sontag
February 1, 1963 Issue
Selected Essays
by Simone Weil, translated by Richard Rees
Oxford University Press, $7.00


我らがリベラル・ブルジョワ文明の文化人カルト・ヒーローの面々(the cultural-heroes)は、リベラル・ブルジョワと敵対している。この作家連中は、何かに憑りつかれたように同じことを何度も繰り返し、礼節をわきまえない。つまりは力づくで印象を刻みつける――単に個人的な権威をちらつかせたり、知性の熱気に中てたりするのではなく、個人と知が陥った切羽詰まった窮境を明敏に察する力を使う。頑迷固陋、癇癪持ち、自己の破壊者――これこそ我らが住まうぞっとするほど礼節をわきまえた時代を証言する作家というものだ。礼節の問題というのはほとんど口調の問題といっても差し支えない。まっとうなことを語る、個性を消した口調で述べられた理念に、信を置くことなどまず無理なのだから。歴史上の経験と頭の中の経験とが自家撞着をきたして錯綜を極め、耳を聾されるあまり、まっとうなことを語る声が聞こえないような時期がいくらか存在する。そんなときまっとうさは、妥協、言い逃れ、ぺてんとなる。我らがいるのは、意識的に健康を追い求めるくせに、信じているものが病んでいるという現実感しかない時代だ。我らが敬意を抱くもろもろの〔主観的な〕真実を生み出すのは懊悩である。我らは、受難に際して作家が払った犠牲に換算し真実を査定するのだ――ひとりの作家の言葉に相当するひとつの客観的真実のようなものは基準にならない。我らの手にある複数の真実にはそれぞれ、殉教者がひとりずついなければならないのだ。
年長のドイツ文芸の領袖に「作家自身のみぞ知る」作品〔『ペンテジレーア』〕を委ねてしまった若きクライストが円熟期のゲーテに反感を覚えさせたもの――クライストの劇作や短篇の素材となった、病的なもの、キチガイじみたもの、不健康さの感覚、桁外れな苦しみへの耽溺――こそ、まさしく我らが今日高い価値を置いているものである。今日クライストは悦びをもたらす作家であるが、ゲーテのほうは、一部の人たちにとっては必修科目のようなものだ。同様にしてキルケゴールニーチェドストエフスキーカフカボードレールランボー、ジュネ――それからシモーヌ・ヴェイユ――といった作家たちは、その不健康な雰囲気ゆえに我らに対して影響力を有している。その不健康さが彼らの健全さであり、説得力の源である。
ひょっとしたら、現実感覚を深める営み、想像力の限りを押し広げる営みを作家たちが必要とするのに比べれば、真実はそれほど必要ではない時代もあるのかもしれない。作家のはしくれとして、わたしは、まともなものが真実の世界観だということを怪しんでいるわけではない。だがそれがいつも求められる真実なのだろうか? 真実を求める気持ちは不変のものではない。不変ならば、それは平安を求めているに過ぎない。なんらかのひずみとなる理念が、そんな〔平安と同義の〕真実よりも強力な知の推進力を有している可能性はある。そのような理念のほうが、〔人間の時代〕精神のさまざまな要求にうまく応えてくれるだろう。時代精神は変転するものなのだから。そういうときの〔平安と同義の〕真実が平衡だからといって、真実とは反対のもの、バランスを欠いたものが、ぺてんだというわけではないだろう。
こう言ったからといって、わたしには流行を非難しようというつもりはない。わたしは芸術や思想において極北を求める現代的嗜好の背後に隠れた動機の存在を強調しようとしているのだ。不可欠なことはただ、我らが偽善に堕さないということ、つまり我らがシモーヌ・ヴェイユのような作家の作品を読み、崇拝する理由を識るということだけなのだ。書籍やエッセーが死後出版されてからこのかたヴェイユが勝ち得てきた、たかだか数万人強の読者が、ヴェイユのさまざまな理念を実際に共有しているとは、わたしにはとても思えない。だがそんなことは不可欠なことではない――シモーヌ・ヴェイユカトリック教会との苦しみに満ちた昇華なき情事を共有する必要などない。神の不在というヴェイユグノーシス的神学を受け入れる必要などない。身体の否認というヴェイユの理想を奉じる必要はない。ローマ文明やユダヤ人に対するヴェイユの著しく公平さを欠いた嫌悪の情に同調する必要などない。キルケゴールニーチェに対しても同様だ。現代においてこの両者に憧れる人のほとんどが両者の理念に帰依はしなかったし、今もしはしない。我らがそうした毒に満ちた独創性をもった作家の作品を読むのは、その人ならではの影響力を、真面目さの模範を、自分が真実だと思ったものためとあらば自己犠牲を厭わない決然とした意志を求めているからであり、また――ほんの少し――作家たちの「見解」を求めているからである。ソクラテスに師事した、堕落したアルキアビデスが、自分自身の人生を変えることはできないしそんなことを望みはしないものの、心を動かされ、人間的に豊かになり、愛に満たされたように。だから感受性の強い現代の読者が敬意を払っているのは、そもそも自分の現実ではないし、とても自分の現実にはなりそうもない、〔認識可能な現象の背後にある時代〕精神の現実の水準なのだ。
模範となる生き方がある一方で、そうはならない生き方もある。模範となる生き方のなかには、我らに真似をするよう誘う生き方と、我らが距離を置いて嫌悪と憐れみ、崇敬の念が入り混じった思いを抱いて尊重するような生き方とがある。大まかに言えば、それは英雄と聖人の違いである(後者の言葉を宗教的な意味ではなく、美感的意味で用いるならそうなる)。そんな生き方、生き方の度重なる誇張と自傷行為の度合いが常軌を逸した――クライストのような、キルケゴールのような――生き方こそ、シモーヌ・ヴェイユの生き方である。想像してみよう。シモーヌ・ヴェイユの生き方の狂気じみた禁欲主義を、快楽と幸福への軽蔑を、高貴で荒唐無稽な政治的身振りを、念には念を入れた自己否定を、飽くなき懊悩の招来を。それにヴェイユの見た目の平凡さ、体の扱いの不器用さ、偏頭痛、肺結核も考慮しよう。生を愛する人々であれば、殉教に向かうヴェイユのようなひたむきさを真似できたらいいのにとは思わないだろうし、自分の子供、あるいは愛するほかの誰かがヴェイユのようになってくれたらいいのにとは思わないだろう。それでも、愚直さ(seriousness)を生と同じように愛する限り、我らはヴェイユのひたむきさに打たれ、それが糧となる。そんな生き方に払う敬意の中に我らが認めるのは、世界には謎があるということだ――謎とはまさしく、真実、つまりある客観的な真実なるものを確実に自家薬籠中のものとしている場合、退けられてしまうものなのだ。この意味において、あらゆる真実は表層的なものだ。それどころか、ある程度の(振り切れてはいない)真実の歪み、ある程度の(振り切れてはいない)狂気、ある程度の(振り切れてはいない)不健全さ、生の(全否定ではなく)部分否定が、真実をもたらし、正気を生み出し、健全さを創造し、生の質を向上させるのだ。
シモーヌ・ヴェイユの作品を翻訳した新刊『エッセー撰1934−43』で、そんなヴェイユはあまり表には出てこない。一篇の傑作エッセーが収録されている。それは冒頭のエッセーで、本書では「人間の個性」と題されている。執筆されたのは1943年、ヴェイユイングランドにおいて享年34で没した年だった。(ところでこのエッセーは当初、英国の雑誌『ザ・トウェインティース・センチュリー』誌の1959年5月号と6月号に「人権の誤謬」というタイトルで二回に分けて発表されたものだった。同誌を舞台にこのエッセーは、後学のためになる奇妙な運命に見舞われた。エッセーの第二部を掲載した6月号でヴェイユを擁護する特別記事が必要になったのだ。この特別記事は、同誌がこのエッセーを公表する決定を下したことに対する批判に応えたものだったが、回答する「理由は、このエッセーによって読者のなかには難儀な思いをしなければならなくなる人もいる」というものだった。たとえ『ザ・トウェインティース・センチュリー』誌ほどの良質な雑誌ですら、この種の作品に熱狂し感激する読者を集めることができないのだとしても、このエッセーの論じている書物が、イングランドの知的営みのうちでもせいぜい俗物レベルに関するものだということは疑いようもない。)次に触れるのは、本書の掉尾を飾るエッセーで「人間に課された義務についての声明の草稿」と題されている。これも先ほどのものと同じく、ヴェイユの没年に書かれたものだが、そこにはシモーヌ・ヴェイユのさまざまな理念の核心を占める問題が含まれている。残りのエッセーは特定の歴史的・政治的な話題に関するものだ――ラングドック文明論が二本、ルネッサンスフィレンツェにおける労働者階級の蜂起論が一本、帝政期ローマとヒトラー時代のドイツとを広範囲にわたって比較した長文のローマ帝国論エッセーが数本、それから第二次世界大戦や植民地問題、戦後の展望に関するさまざまな省察がある。ジョルジュ・ベルナノス宛の興味深いが取り扱いに注意を要する書簡が一通。エッセー数篇にまたがる、本書中最長の議論が展開するのは、ローマ(及び古代ヘブライ神権政治!)とナチスドイツの比較論だ。ナチスによるユダヤ人迫害の件については不愉快な黙殺が目立つシモーヌ・ヴェイユによれば、ヒトラーはナポレオンより、リシュリューより、カエサルよりましだという。ヒトラーの人種主義は、ヴェイユの言によれば、「ナショナリズムをいっそのこともっとロマンティックな感じで呼ぶときの呼称」程度のものだという。権力を揮うことと威圧的な力に屈することとが帯びる心理的効果に魅了されたヴェイユは、歴史の進歩を説くあらゆる理念を断固として否定するその姿勢とも相まって、国家的権威がとるあらゆる形態を、曰く「偉大なる獣」が顕現する現象として同一視するに至った。
シモーヌ・ヴェイユの『カイエ』(二巻本、1959年)と『古代ギリシャ人たちにみられるキリスト教の予兆』(1958年)〔邦訳は『前キリスト教的直観』。http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-00964-8.html〕の読者ならば、キリスト教ヘブライ起源を全否定すると同時に、キリスト教に独特なもの一切の由来をギリシャ精神にたずねようというヴェイユの試みは周知のことだろう。こうしたものごとの基礎を問う議論――プロヴァンス文明、マニ教カタリ派の異端信仰に対する崇拝も合わせて――がヴェイユの歴史エッセーのすべてを潤色している。キリスト教を歴史的に信頼に値するもの(sound)だとする、シモーヌ・ヴェイユグノーシス主義的な解釈を、わたしは受け入れることはできない(キリスト教を信仰する上での真実はまた別の問題だ)。またわたしは、ナチズム、ローマとイスラエルヴェイユが執拗に比較することに、気分を害さずにはいられない。ユーモアのセンスのようなものに過ぎない不偏不党は、シモーヌ・ヴェイユのような作家の長所ではない。ギボン(そのローマ帝国観をヴェイユは徹底的に否定する)と同じく、歴史作家シモーヌ・ヴェイユも偏っていて、こだわりは底なしで、腹立たしいほど曇りがない。歴史家ヴェイユは、端的にいってヴェイユの真骨頂ではない。歴史上生じる変化や変革の現象の数々をこんなにも根っから信じないものは誰でも、歴史家としてどこをとっても説得力に欠けるだろう。だからといって、今般刊行のエッセー群に微かながら歴史的洞察があることを否定するものではない。たとえば、全ヨーロッパ大陸及び白人種一般に対し、植民地を征服・支配する方法をドイツが応用する点にヒトラー主義の本質はある、というご明察である。(もちろん、直前にヴェイユは、これら――ヒトラーの方法と「平均的な植民地のやりかた」――はもとをただせばローマ帝国がモデルであると言っている。)
当撰集の第一の意義は、単純にシモーヌ・ヴェイユの筆から生まれたものにはそれがどんなものでも読む価値がある、ということだ。ひょっとしたら本書は、この作家と知り合いとなるきっかけにするような本ではないかもしれない。――わたしなら『神を待ちながら』が入門に最適だと思う。ヴェイユ心理的洞察の斬新さ、神学的想像力の情熱と細やかさ、解釈の才の豊穣に、本書ではばらつきがみられる。とはいえシモーヌ・ヴェイユという人となりは、彼女のほかのどの著作とも同じくここでも揺るぎない――読むに堪えないほど自分の理念と一体化した人間、つまり時代精神が蒙る現代特有の懊悩を目撃した、この上なく妥協知らずで厄介な証人のうちのひとりである、との正当な評価を受けているヴェイユという人間は。