スーザン・ソンタグ書評 「シモーヌ・ヴェイユ」

原文→http://www.nybooks.com/articles/archives/1963/feb/01/simone-weil/ 

Simone Weil
Susan Sontag
February 1, 1963 Issue
Selected Essays
by Simone Weil, translated by Richard Rees
Oxford University Press, $7.00


我らがリベラル・ブルジョワ文明の文化人カルト・ヒーローの面々(the cultural-heroes)は、リベラル・ブルジョワと敵対している。この作家連中は、何かに憑りつかれたように同じことを何度も繰り返し、礼節をわきまえない。つまりは力づくで印象を刻みつける――単に個人的な権威をちらつかせたり、知性の熱気に中てたりするのではなく、個人と知が陥った切羽詰まった窮境を明敏に察する力を使う。頑迷固陋、癇癪持ち、自己の破壊者――これこそ我らが住まうぞっとするほど礼節をわきまえた時代を証言する作家というものだ。礼節の問題というのはほとんど口調の問題といっても差し支えない。まっとうなことを語る、個性を消した口調で述べられた理念に、信を置くことなどまず無理なのだから。歴史上の経験と頭の中の経験とが自家撞着をきたして錯綜を極め、耳を聾されるあまり、まっとうなことを語る声が聞こえないような時期がいくらか存在する。そんなときまっとうさは、妥協、言い逃れ、ぺてんとなる。我らがいるのは、意識的に健康を追い求めるくせに、信じているものが病んでいるという現実感しかない時代だ。我らが敬意を抱くもろもろの〔主観的な〕真実を生み出すのは懊悩である。我らは、受難に際して作家が払った犠牲に換算し真実を査定するのだ――ひとりの作家の言葉に相当するひとつの客観的真実のようなものは基準にならない。我らの手にある複数の真実にはそれぞれ、殉教者がひとりずついなければならないのだ。
年長のドイツ文芸の領袖に「作家自身のみぞ知る」作品〔『ペンテジレーア』〕を委ねてしまった若きクライストが円熟期のゲーテに反感を覚えさせたもの――クライストの劇作や短篇の素材となった、病的なもの、キチガイじみたもの、不健康さの感覚、桁外れな苦しみへの耽溺――こそ、まさしく我らが今日高い価値を置いているものである。今日クライストは悦びをもたらす作家であるが、ゲーテのほうは、一部の人たちにとっては必修科目のようなものだ。同様にしてキルケゴールニーチェドストエフスキーカフカボードレールランボー、ジュネ――それからシモーヌ・ヴェイユ――といった作家たちは、その不健康な雰囲気ゆえに我らに対して影響力を有している。その不健康さが彼らの健全さであり、説得力の源である。
ひょっとしたら、現実感覚を深める営み、想像力の限りを押し広げる営みを作家たちが必要とするのに比べれば、真実はそれほど必要ではない時代もあるのかもしれない。作家のはしくれとして、わたしは、まともなものが真実の世界観だということを怪しんでいるわけではない。だがそれがいつも求められる真実なのだろうか? 真実を求める気持ちは不変のものではない。不変ならば、それは平安を求めているに過ぎない。なんらかのひずみとなる理念が、そんな〔平安と同義の〕真実よりも強力な知の推進力を有している可能性はある。そのような理念のほうが、〔人間の時代〕精神のさまざまな要求にうまく応えてくれるだろう。時代精神は変転するものなのだから。そういうときの〔平安と同義の〕真実が平衡だからといって、真実とは反対のもの、バランスを欠いたものが、ぺてんだというわけではないだろう。
こう言ったからといって、わたしには流行を非難しようというつもりはない。わたしは芸術や思想において極北を求める現代的嗜好の背後に隠れた動機の存在を強調しようとしているのだ。不可欠なことはただ、我らが偽善に堕さないということ、つまり我らがシモーヌ・ヴェイユのような作家の作品を読み、崇拝する理由を識るということだけなのだ。書籍やエッセーが死後出版されてからこのかたヴェイユが勝ち得てきた、たかだか数万人強の読者が、ヴェイユのさまざまな理念を実際に共有しているとは、わたしにはとても思えない。だがそんなことは不可欠なことではない――シモーヌ・ヴェイユカトリック教会との苦しみに満ちた昇華なき情事を共有する必要などない。神の不在というヴェイユグノーシス的神学を受け入れる必要などない。身体の否認というヴェイユの理想を奉じる必要はない。ローマ文明やユダヤ人に対するヴェイユの著しく公平さを欠いた嫌悪の情に同調する必要などない。キルケゴールニーチェに対しても同様だ。現代においてこの両者に憧れる人のほとんどが両者の理念に帰依はしなかったし、今もしはしない。我らがそうした毒に満ちた独創性をもった作家の作品を読むのは、その人ならではの影響力を、真面目さの模範を、自分が真実だと思ったものためとあらば自己犠牲を厭わない決然とした意志を求めているからであり、また――ほんの少し――作家たちの「見解」を求めているからである。ソクラテスに師事した、堕落したアルキアビデスが、自分自身の人生を変えることはできないしそんなことを望みはしないものの、心を動かされ、人間的に豊かになり、愛に満たされたように。だから感受性の強い現代の読者が敬意を払っているのは、そもそも自分の現実ではないし、とても自分の現実にはなりそうもない、〔認識可能な現象の背後にある時代〕精神の現実の水準なのだ。
模範となる生き方がある一方で、そうはならない生き方もある。模範となる生き方のなかには、我らに真似をするよう誘う生き方と、我らが距離を置いて嫌悪と憐れみ、崇敬の念が入り混じった思いを抱いて尊重するような生き方とがある。大まかに言えば、それは英雄と聖人の違いである(後者の言葉を宗教的な意味ではなく、美感的意味で用いるならそうなる)。そんな生き方、生き方の度重なる誇張と自傷行為の度合いが常軌を逸した――クライストのような、キルケゴールのような――生き方こそ、シモーヌ・ヴェイユの生き方である。想像してみよう。シモーヌ・ヴェイユの生き方の狂気じみた禁欲主義を、快楽と幸福への軽蔑を、高貴で荒唐無稽な政治的身振りを、念には念を入れた自己否定を、飽くなき懊悩の招来を。それにヴェイユの見た目の平凡さ、体の扱いの不器用さ、偏頭痛、肺結核も考慮しよう。生を愛する人々であれば、殉教に向かうヴェイユのようなひたむきさを真似できたらいいのにとは思わないだろうし、自分の子供、あるいは愛するほかの誰かがヴェイユのようになってくれたらいいのにとは思わないだろう。それでも、愚直さ(seriousness)を生と同じように愛する限り、我らはヴェイユのひたむきさに打たれ、それが糧となる。そんな生き方に払う敬意の中に我らが認めるのは、世界には謎があるということだ――謎とはまさしく、真実、つまりある客観的な真実なるものを確実に自家薬籠中のものとしている場合、退けられてしまうものなのだ。この意味において、あらゆる真実は表層的なものだ。それどころか、ある程度の(振り切れてはいない)真実の歪み、ある程度の(振り切れてはいない)狂気、ある程度の(振り切れてはいない)不健全さ、生の(全否定ではなく)部分否定が、真実をもたらし、正気を生み出し、健全さを創造し、生の質を向上させるのだ。
シモーヌ・ヴェイユの作品を翻訳した新刊『エッセー撰1934−43』で、そんなヴェイユはあまり表には出てこない。一篇の傑作エッセーが収録されている。それは冒頭のエッセーで、本書では「人間の個性」と題されている。執筆されたのは1943年、ヴェイユイングランドにおいて享年34で没した年だった。(ところでこのエッセーは当初、英国の雑誌『ザ・トウェインティース・センチュリー』誌の1959年5月号と6月号に「人権の誤謬」というタイトルで二回に分けて発表されたものだった。同誌を舞台にこのエッセーは、後学のためになる奇妙な運命に見舞われた。エッセーの第二部を掲載した6月号でヴェイユを擁護する特別記事が必要になったのだ。この特別記事は、同誌がこのエッセーを公表する決定を下したことに対する批判に応えたものだったが、回答する「理由は、このエッセーによって読者のなかには難儀な思いをしなければならなくなる人もいる」というものだった。たとえ『ザ・トウェインティース・センチュリー』誌ほどの良質な雑誌ですら、この種の作品に熱狂し感激する読者を集めることができないのだとしても、このエッセーの論じている書物が、イングランドの知的営みのうちでもせいぜい俗物レベルに関するものだということは疑いようもない。)次に触れるのは、本書の掉尾を飾るエッセーで「人間に課された義務についての声明の草稿」と題されている。これも先ほどのものと同じく、ヴェイユの没年に書かれたものだが、そこにはシモーヌ・ヴェイユのさまざまな理念の核心を占める問題が含まれている。残りのエッセーは特定の歴史的・政治的な話題に関するものだ――ラングドック文明論が二本、ルネッサンスフィレンツェにおける労働者階級の蜂起論が一本、帝政期ローマとヒトラー時代のドイツとを広範囲にわたって比較した長文のローマ帝国論エッセーが数本、それから第二次世界大戦や植民地問題、戦後の展望に関するさまざまな省察がある。ジョルジュ・ベルナノス宛の興味深いが取り扱いに注意を要する書簡が一通。エッセー数篇にまたがる、本書中最長の議論が展開するのは、ローマ(及び古代ヘブライ神権政治!)とナチスドイツの比較論だ。ナチスによるユダヤ人迫害の件については不愉快な黙殺が目立つシモーヌ・ヴェイユによれば、ヒトラーはナポレオンより、リシュリューより、カエサルよりましだという。ヒトラーの人種主義は、ヴェイユの言によれば、「ナショナリズムをいっそのこともっとロマンティックな感じで呼ぶときの呼称」程度のものだという。権力を揮うことと威圧的な力に屈することとが帯びる心理的効果に魅了されたヴェイユは、歴史の進歩を説くあらゆる理念を断固として否定するその姿勢とも相まって、国家的権威がとるあらゆる形態を、曰く「偉大なる獣」が顕現する現象として同一視するに至った。
シモーヌ・ヴェイユの『カイエ』(二巻本、1959年)と『古代ギリシャ人たちにみられるキリスト教の予兆』(1958年)〔邦訳は『前キリスト教的直観』。http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-00964-8.html〕の読者ならば、キリスト教ヘブライ起源を全否定すると同時に、キリスト教に独特なもの一切の由来をギリシャ精神にたずねようというヴェイユの試みは周知のことだろう。こうしたものごとの基礎を問う議論――プロヴァンス文明、マニ教カタリ派の異端信仰に対する崇拝も合わせて――がヴェイユの歴史エッセーのすべてを潤色している。キリスト教を歴史的に信頼に値するもの(sound)だとする、シモーヌ・ヴェイユグノーシス主義的な解釈を、わたしは受け入れることはできない(キリスト教を信仰する上での真実はまた別の問題だ)。またわたしは、ナチズム、ローマとイスラエルヴェイユが執拗に比較することに、気分を害さずにはいられない。ユーモアのセンスのようなものに過ぎない不偏不党は、シモーヌ・ヴェイユのような作家の長所ではない。ギボン(そのローマ帝国観をヴェイユは徹底的に否定する)と同じく、歴史作家シモーヌ・ヴェイユも偏っていて、こだわりは底なしで、腹立たしいほど曇りがない。歴史家ヴェイユは、端的にいってヴェイユの真骨頂ではない。歴史上生じる変化や変革の現象の数々をこんなにも根っから信じないものは誰でも、歴史家としてどこをとっても説得力に欠けるだろう。だからといって、今般刊行のエッセー群に微かながら歴史的洞察があることを否定するものではない。たとえば、全ヨーロッパ大陸及び白人種一般に対し、植民地を征服・支配する方法をドイツが応用する点にヒトラー主義の本質はある、というご明察である。(もちろん、直前にヴェイユは、これら――ヒトラーの方法と「平均的な植民地のやりかた」――はもとをただせばローマ帝国がモデルであると言っている。)
当撰集の第一の意義は、単純にシモーヌ・ヴェイユの筆から生まれたものにはそれがどんなものでも読む価値がある、ということだ。ひょっとしたら本書は、この作家と知り合いとなるきっかけにするような本ではないかもしれない。――わたしなら『神を待ちながら』が入門に最適だと思う。ヴェイユ心理的洞察の斬新さ、神学的想像力の情熱と細やかさ、解釈の才の豊穣に、本書ではばらつきがみられる。とはいえシモーヌ・ヴェイユという人となりは、彼女のほかのどの著作とも同じくここでも揺るぎない――読むに堪えないほど自分の理念と一体化した人間、つまり時代精神が蒙る現代特有の懊悩を目撃した、この上なく妥協知らずで厄介な証人のうちのひとりである、との正当な評価を受けているヴェイユという人間は。

ドイツのロマン主義について頭の中を整理

十八世紀後半、啓蒙主義に対する反動としてゲーテ頭目とする「シュトルム‐ウント‐ドラング」が起こる。もともと啓蒙主義も一枚岩ではなく、感性を重視する傾向もあったのだけど、この感性はあくまでも理性の管轄下にあった。すると感性的表現は型にはまり、道徳的になる。シュトルム‐ウント‐ドラングは、感性の後ろ盾となるものを「自然」に求めた。自然は道徳的な範疇を凌駕する。そこに自由な感性の現れを読み取ろうとした。啓蒙主義もシュトルム‐ウント‐ドラングも個人主義を重視するが、感性の扱いが決定的に異なる。焦点となったのがEmpfindsamkei。Empfindsamkeiはスターン以前から存在していた言葉だったが、『センチメンタル・ジャーニー』(1768)の独訳に際し、レッシングがsentimentalの訳語として提案し、人口に膾炙、ゲーテ『ウェルテル』の感情主義・主観主義と重なり合って一気に広まる。十八世紀末ごろには、sensitibityとsentimentalityはイギリスにおいて侮蔑語へと変わっていくけれども、ドイツのEmpfindsamkeiは真の感性的現れをめぐって制御する理性と解き放つ自然との間で綱引きが行われるトポスとなった。いずれにしても人間主義ゲーテと初期ロマン主義者シュレーゲル兄弟やノヴァーリスらはイェーナにて交わるし、英語圏ではこれらひとまとめでロマン主義者だと目されていたが、ゲーテロマン主義を次第に批判し始める。この辺がまだはっきりしていないが、ひとつはロマン主義が批評の運動でもあった、という点だろうか。ゲーテは作品の批評を無用なものと軽蔑していたし、『ヴィルヘルム』でも『ハムレット』の解釈は行うけれども、それは作品の有機的全体のなかにおけるひとつの役柄をよりよく理解し、作者の意図に接近するためだった。つまり作品を理解し演じるための解釈。対してロマン主義は批評を導入する。両者の差は、古典主義との関係で整理できるかもしれない。ヴィンケルマンに端を発しヘーゲルで完成されるギリシャという芸術の理想。対してロマン主義は、ロマン主義による古典文学の読み直しを通じ、ロマン主義文学史のようなものを構想していたし、ヘーゲルによる芸術の終焉テーゼに抗い、芸術の可能性を、古典主義を乗り越え追求していく。ゲーテには文学史的・批評的関心はなかったのかな。あくまで主観的、内なる自然。色彩論等の自然学も彼の文学と齟齬をきたさない。古典主義者ゲーテロマン主義ナショナリズム的側面を攻撃しもしたが、彼自身が国民文学の中核に収まるというアイロニー。さて、こういった経緯がさっぱりとそぎ落とされて感情主義となって、そこにロマン主義的なものやモラル、共同体主義らとごたまぜになってアメリカ・ロマン主義は成立するのではないか、という予断。さらにはドイツとフランスとの関係(ハイネによる紹介など)、アメリカにおけるフーリエ主義。

「タイプ」を書く音、タイプライターの打鍵音

奇しくもイギリス映画『つぐない』(Atonement)を最近見たところだった。ようやく結ばれたばかりの男女が、嫉妬と性に対する嫌悪感がない交ぜになった少女の嘘によって永遠に引き裂かれてしまう。第二次大戦の勃発による男の従軍と女の看護師としての献身が両者の邂逅を期待させるが、"come back"という男の帰還を願う女の思いは、イギリスが戦況において決してcome backしない歴史的事実によってすでに諦念に染まっている。そしてここにすべての発端となった少女によるつぐないの思いcome backが重なる。だがこの永遠に失われた男女の関係を取り戻そうとするつぐないに、男に対する秘めた恋心がcome backしてはいないとは言い切れない。多分にフィクションの混じった自伝という形式は即断を許さない。
だが映画というメディアのおもしろさはそこにはない。イアン・マキューアンの原作小説の翻案である本作は、目において欺き、耳において真実を聞かせる。タイプライターの打鍵音が一貫して通奏低音として響き、常に真実の場所の在処を語る。登場人物の一見辻褄の合わない台詞はすべてある人物にとっては真実の言葉として機能している。
ついでに言うと、本作においてつぐないはなかなか始まらない。決してつぐなえないことを少女は知っているからだ。それでも最期につぐないは始まる。自分の寿命が尽きる寸前で、まるで自らの喪の作業を先取りするかのように、他者のためのつぐないは始まる。
sentimental。そう、センチメンタルな作品だった。アメリカのsentimentsの根源にあるものが涙であり、喪の作業であるという常套に従うなら(これはイギリスの映画だが)、喪の終わりのなさはいつもセンチメンタルな形式の焦点となるだろう。喪は常にメランコリーと共にある。センチメンツの形式は実はいつも危うい。安全な物語形式、安心して共感が成立し涙を流せるセンチメンタル・ナラティヴの軌道に、アフェクトのけものみちを重ねること。感情の節制が断念される地点を探すこと。共感が途絶える場所を探すこと。
つぐないはもっとも人間的な営みでありながら、人間の能力の限界をさらけ出す。剥き出しなのに、生身を欠いた質感。わたしにとって、タイプライターの打鍵音は退却戦を戦う人間の、底抜けの抵抗を感じさせるものだった。


国語というアポリアのなかで思考すること

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

<書き言葉>とは、<テキストブック>に完璧に置き換えられるものから、<テキスト>としてそこへ絶対に戻っていかねばならないものまで、さまざまな形をとって読者の前に立ち現れる。それは、翻訳の可能性と翻訳の不可能性の間のアポリアを指ししめし続ける。(153)

だいぶ前に話題になっていた水村美苗日本語が亡びるとき』をいまごろになって読了。
最後の三分の一は日本語文化の滅亡を危惧するほうへ振れていくが、これはアメリカにまったくなじめずそれでもアメリカ生活を生き延びる上で近代日本文学を生きるよすがとしていた水村の自伝の一部として読むべきだろう。
むしろ議論の要諦をなすのは、普遍語と現地語のあいだで揺れ動く国語という思考のトポスを維持することの必要性だろう。普遍語からの翻訳によって可能になる国語という営みは、現地語としての日本語とも普遍語とも異なる思考を可能にしてくれる。近代との遭遇によって生まれた普遍語でもなければ現地語でもない「国語」のアンビヴァレンスを維持することこそが肝要だということ。だから本書が表現しているのは普遍語(英語)中心主義を前にした諦観でもなければ、日本文化の礼賛でもない。もちろん、日本語の乱れや日本語の消滅でもない。くどいが問題なのは「国語」の消滅、あるいは機能不全だ。
そもそも水村がいう「国語」は、ド・マンの教え子らしく普遍語と現地語とのあいだのコミュニケーションの不成立を前提としたものである以上、純粋な日本語ではない。それは始めから翻訳によって汚染されている。だから水村の議論は、普遍語か、日本語か、というような単純な二者択一ではなく、両者がせめぎあう場である「国語」を維持することに向かう。この議論の龍頭を無視して、亡国論のような響きという蛇尾のほうに反応する水村批判のなかには、日本文化の輸出や日本文学がたくさん翻訳されている状況を挙げるものもあるようだが、それはまったく的を外している。日本文化の輸出に関していえば、水村の議論が《書き言葉》の議論であるということを失念している。それから英語に翻訳された日本文学というのは普遍語文学なのであって、水村の論じる普遍語と現地語のあいだで揺れる「国語」ないし国語文学ではない。この辺は、本書を称賛する某アルファブロガーの方も理解していないようだし(そもそもどんな本でも速読できることを売りにする人間の理解力などその程度のものだが)、「くどい」だのという論難は、繰り返し丁寧に説いているのを安易に読み流して勘所を見過ごす失策を告白しているだけであって論外だろう。
英語ではなく「国語」で考え、書くということの意味をじっくり考えるいいきっかけになった。思考する「国語」をもつ人間が、なぜ思考しないのか。どうすれば「国語」で思考できる人が増えるのか。悩みは深い。

『文学理論をひらく』

文学理論をひらく

文学理論をひらく

共著者のおひとりから御恵投いただく。ツイッターやっててよかったと思う瞬間。
読みものとしてもおもしろいが、教科書に適している、と思う。理由は後段で示す。
構想なく書き始めて、書きくだしていったので、書評というにはバランスが悪い。おまけに長い。御寛恕のほどを。

本書は二部構成。第一部は「テクストをひらく:物語の読み方とその多様性」、第二部は「理論をひらく: 文学研究とその未来」とそれぞれ銘打たれている。その全八章を五人の若手英米文学《批評家》が分担している。
第一部の劈頭を飾る小川公代「意識から無意識へ: 夢・動物・おとぎ話」は、なかなか危険な論稿だと思う。というのも、フロイトの性的象徴主義を振りかざして、『風立ちぬ』や『フランケンシュタイン』の解説を始めるからだ。鍵を男性器、鍵穴を女性器とするような一対一対応の性的象徴が、ある種の夢やおとぎ話に典型的な隠された無意識の符牒として論じられていく。だが、フロイト(とベッテルハイム)の思考をなぞるかのような還元主義は、戦略的に働いている。『狼の血族』や『虎の花嫁』といった作品を論じる段になると、フロイトの還元主義はとん挫する。フロイト精神分析から排除された女性の声が回帰し始める。フロイトによる一方的な解釈を拒み、分析を途中で投げ出したドーラの症例を挙げる小川は、無意識が決してひとつの真理に還元されるものではないことを実践的に示す。無意識は歴史や文化によって異なるものだろうし、さらには個々人の経験によっても偏るため、決定的な解釈モデルを構築できる場所ではない。通常の解釈に当てはまらないものは異常だとして退けられるべきなのか。むしろ解釈格子の不能を明かす異常の方が真理に近いのではないか。小川は理論の徹底によって得られる洞察とともに、その理論に必然的に内在する盲目(家父長制や女性の排除)の所在を、論の流れそれ自体によって示している。
続く生駒公美「女同士の絆: ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』と精神分析クィア批評」は、本書の白眉だと思う。フロイトの性的象徴主義から言語論的な転換を経たラカン精神分析、そして男/女という既存のカテゴリーを横断し、その規範性そのものを問いに付すクィア批評の観点から『ねじの回転』を読む。エドマンド・ウィルソンが語り手である家庭教師の語りに性的な含意を一方的に読みこむフロイト的な分析を施すのに対し、フェルマンはラカンに依拠して精神分析家が安全な位置にいるのではなく、患者との転移関係に巻き込まれている点を指摘、ウィルソン自身が語りの権力を行使する家庭教師の身振りを反復しているという批評を展開する。ウィルソンが「マスト」をその形姿からの連想で男根の象徴と断定するのに対し、フェルマンはmastがmasterへとずれていくような、決して象徴として静止することのない言語の運動そのものを記述する。このような隠喩的な読み(シニフィアンを意味で充満した記号として解釈する)に解釈の暴力、「知っているもの」が独占する権力を見出し、それが換喩的なシニフィアンの運動(シニフィアンは別のシニフィアンと横滑りし続け、記号としての安定を維持できない)によってくじかれる点をフェルマンは剔抉する。だが、生駒の論稿が小川の論稿を引き継いで精神分析批判を深化させていくのは、フェルマンの議論をただなぞることによってではなく、それを批判することによってである。生駒は家庭教師の全能感に満ちた語りのなかに、ミセス・グロウスによる異性愛に収まりえないクィアな親密性の痕跡があることを明らかにしていく。知っていることは果たしてそれで全部なのか。ねじがどこまでも回転を続けることを予言する秀抜な論稿。
小川公代「"ポスト"フェミニズム理論: 「バックラッシュ」とヒロインたちの批判精神」は、女性の法的な権利や社会的な地位向上を求めるフェミニズム運動が、人種や階級、植民地主義フェミニズムに対する「バックラッシュ」へと応答しながら、一枚岩に団結した「女」からより多様な個人の「女たち」の生き方を問うものへと変容していく過程を追う。守旧的な結婚観からも、そして結婚を否定し自己陶酔的に恋愛を求める「新しい女」からも距離をとる知性的な結婚を提示する野上彌生子『真知子』、女性のふるまい方を解くコンダクトブックを嘲笑しつつ自前の知性を育み結婚していく女を描くオースティン『高慢と偏見』、知性のかけらも感じさせない女ながら、女に宛がわれたステレオタイプの存在を浮き彫りにする批判的な感受性をもつヒロインを描くフィールディング『ブリジッド・ジョーンズの日記』。時代も場所も異なる三つの小説の読解を通じて、三者三様に典型的な女の幸せに対して距離をとりつつ、自分なりの幸せを追求する女の生き方を切り出して見せる小川の論稿は、「フェミニズム」という歴史化された運動では取り逃がしてしまう、より微細な女の抵抗を記述するポストフェミニズムという(periodization「時代区分」を阻む)超歴史的な理念を活写しているように思われる。ポストフェミニズムは「フェミニズム」の消化不良を訴える愁訴であり、「批評」の起点となる。
生駒公美「白と黒: 『ハックルベリー・フィンの冒険における人種の境界線』は、マーク・トウェインの『ハック・フィン』を題材に、人種関係について考える論稿。ハックの物語が沈黙を余儀なくされている黒人の黒さを背景にしていると批判するトニ・モリスンとハックの言葉に黒人文化の深い影響を読み取るフィッシュキンの対立構図を枕に、生駒は『トム・ソーヤーの冒険』へと遡上、不気味なまでに白いハックの父が、黒人教授への妬みを露わにする場面に注目する。すなわち、貧乏白人たるハックの父が爆発させる感情は、社会的に劣等感を抱く人間が別の人間に対して、お前は差別されるべきポジションにいるべきだという、白黒の二項対立図式からはみ出た人種主義のあり方を仄めかしている。ジジェクの「享楽の盗み」を参照しながら、白人が享受すべき享楽を黒人が盗み、特権を享受している、という謂れのない非難をぶつける、(在特会的)ヘイトスピーチのメカニズムをハックの父はなぞっている。貧しい白人であるため奴隷の黒人と一緒に生活することにためらいのないハック(階級)と、しかし黒人に対する優位な位置は保持しようとするハック(人種)、さらには盗むことは借りることだという正当化の論理でジムを盗むハック(貧しいものが生きるための知恵)*1、というおよそ折り合いのつかない複雑なハックの人物造形は、その父親の影響という観点からみた場合、きわめて妥当だといえる。いや、むしろ父の影響こそがハックとジムの旅の顛末を規定しているとさえ言える。人種問題を視覚的なレベル*2から欲望のレベルまで掘り下げる生駒は、『ハック・フィン』のなんとも言い難い結末に、人種関係の《未だ見えない》可能性を重ねているように思われる、
第二部の先陣を切るのは、木谷巌「読むことの文学: ド・マンの精読とアイロニー」。昨年没後三十年を画し、再評価の機運が徐々に高まりつつあるポール・ド・マンの批評を振り返り、読むという営みについて反省するための視点をいくつか切り出している。ド・マンの批評を理解する上で避けて通れないのが、アメリカ文学史の正典を形成する上で大きな役割を果たした「新批評」という潮流である。「文学とはなにか」という問いは、文学的な要素の定義から始まる。木谷は新批評に属するブルックスのイェイツ論を例にして、アイロニー、パラドクス、両義性といった新批評の概念が、ひとつの独立したテクストのなかで有機的に調和する様を追う。このような作者からも社会からも独立した、一切のノイズを排された《美しい詩的有機性》を抽出するのが新批評の主眼だったとすれば、ド・マンはそのような精読を通じて詩的有機性のなかにノイズを発見する。言語が言語である限りにおいて、統一的な解釈の実現は必ず阻まれる。木谷はロマン派のテクストを読むド・マンの批評を、シンボル/アレゴリーアレゴリーアイロニーの軸に分解して、本当の意味や本当の自分といった美的な先祖返りの欲望を断念させる言語の性質を解説し続ける。とりわけ新批評の中心的な概念だった「アイロニー」は、ド・マンの批評では、詩的有機性のシンボルから、言語の無機性・物質性のアレゴリーへと読み替えられる。「濫喩」・「行為遂行性」・「機械」といったド・マンの概念を、比喩の達成を阻む言語のアイロニーとして読む終盤においても、「読むこと」の新たな切子面に色調の異なる光が当てられる。詩は美的な誘いを必ず含むし、およそ美的なものを含まなければ詩とは呼ばれない。だが、美的なものを規定するカテゴリーの根拠となる場所は、底が抜けている。詩が言語である限りにおいて、美的なものを振りまいて人を魅了しつつも、それは既存のカテゴリーには収まりえない不気味なものの次元を含まざるを得ない。従って、ド・マンにとって文学を読むこととは、既存の美的カテゴリーをひとつのテクストの内部において反復・再現することではなく、そのようなカテゴリーに内在しその歪みを訴える、おぞましいノイズに耳をそばだてる営みを指す。難解だが、批評の存在意義を強く訴える章となっている。
霜鳥慶邦「「平成の三四郎」たちへ: グローバル時代の移住者として」は、グローバル時代におけるポストコロニアル理論の意義を考える、つまりポストコロニアルとは被植民者と植民者「だけ」の問題なのか、それはわたしたちの問題なのではないか、と問いかける論稿。物事を見る基準はひとつなのではなく複数あること、わたしには思いもよらない基準が存在することを認めることの重要性を漱石三四郎』から引き出す。次にブロンテ『ジェイン・エア』と、そこに登場する「屋根裏の狂女」バーサの視点から書き直された翻案、リース『サルガッソーの広い海』とを比べて、前者の語りの死角を後者が補完している構図を確認、ひとつの視点がとりうる洞察を示すと同時に、それではカヴァーしきれず表面化する盲目もまた別の洞察に開かれていることが示される。さらには、標準という考え方が孕む他者性に対する顧慮(わたしのものの見方とは異なる観点が存在することを想像し、尊重すること)をサイードの「対位法的読解」と重ねつつ、標準の問題をカズオ・イシグロ三四郎の比較によって読み解いていく。イシグロの故国喪失者的なアイデンティティの不安と三四郎の異文化経験は、標準の変容可能性という一点において共振している。結局のところ、三四郎は標準の複数性と標準とのあいだに生じる齟齬や矛盾から逃げ出してしまうが、平成の三四郎たる現代人はこのような齟齬・矛盾とともに生きなければならない。地球儀のなかに、起伏や淀み、窪み、亀裂を発見することの重要性を霜鳥は説く。だが、移ろい漂うアイデンティティディアスポラ的経験は、ある種の知的ファッションに堕し、単なる相対主義に陥る危険を孕んでいることを忘れてはならない。他者とのあいだに対話が成立するか否かは、他者のもっている基準と自分の培ってきた基準とを《比較》する努力にかかっている。絶対的なアイデンティティの不在を、対話の無視や差異の戯れという知的怠慢の方便に利用しないためにも、理念的な矛盾や齟齬の共有にとどまるのではなく、他者と対峙するときに生じる具体的な矛盾や齟齬の感覚を反省的に記述する、地道な《比較》の作業の意義を重ねて強調しておく必要があるだろう。
高村峰生「作者の死と読者の誕生: 受容理論と「ウェブ以降」の世界」は、なんらかの意図をもって作者がテクストを生産し、読者にそれを解釈させる、という不可逆的・一方通行的な作者観が瓦解し、読者共同体がさまざまなテクノロジーを駆使してテクストを産出していくような時代に、文学はなにをすべきかを考察する論稿。まずは前近代−近代−ポストモダンという三段階において作者が占める位置について、ロラン・バルト「作者の死」、及びミシェル・フーコー「作者とは何か?」を補助線として丁寧に解説している。物語を語り伝える語り部、作品の秘密を握っている天才的作者、読者や法などとの関係において社会的に機能する作者という三つのモードを辿り、現在の読むという行為が「意味の解釈」ではなく「言語の機能(不全)」に向かうことに関する一定の理路を示す。だが、この少々乱暴な図式化は、物語を受容する読者の位置は果たして受動的なのだろうか、という問いかけと共にあることを忘れてはならない。つまり、作者の死という過激な表現は、作者を処刑するものではなく(コナン・ドイルが死んだためしがあるだろうか?)、読者が物語に対し能動的に働きかけ、意味や価値を生産する主体として機能している事実を前景化するものだからだ。ハンス・ロベルト・ヤウスとヴォルフガング・イーザーという受容理論あるいは受容美学の碩学が召喚されるとき、前近代−近代−ポストモダンという高村の架設された足場は取り払われる。物語形式には物語の受け手としての読者の位置、「空白」が予め書きこまれているのだから、そもそも作者は物語を読者抜きで完成させることはできない。したがって、先ほどのやや直線的な図式は、あくまでも作者観の便宜的な整理として理解すべきだろう。読者は前近代−近代−ポストモダンのどの場所にも書きこまれている。このような視点は、「ポストモダン」という思想的潮流による歴史的産物なのかもしれない。しかしその視点は、あくまでも物語や作者、読者といった概念を反省的に見直す瞬間に束の間可能になるような暫定的な立場であり、現代に限らずいつの時代にもとり憑いている亡霊のようなものだ。しかしながらアダプテーション、メディア・ミックス、ソーシャル・リーディング、SNSといった現代的状況を概観しながら高村が指弾するのは、古い作者概念にはとどまらない。読者がより自由に読者らしく振る舞える環境が整っていくのと反比例するように、わかりにくいものを既存の枠組みに収斂させようとする「物語化」の誘惑が強まっていく現況に、高村の批判は向かう。データベース消費に代表されるような既存の物語・キャラクターの折衷、あるいは他人に受け入れられやすい社交的性格の演出など、複雑なものを単純化・脱色し、簡単に触れあった《気分》に浸れるよう、自ら棘を折ってしまう。このような時代にあっては、読者はお馴染みの物語と簡単に出会えてしまう。読者は新しい物語をすでに知っている物語へと還元し、作者も読者の欲望に応え、すでに知っている物語を書き続ける。読者と作者による共犯的な「物語化」の欲望が、閉鎖的な「セカイ」を反復する。*3
高村の問いは、以下のように集約できるだろうか。本当に物語は読者が簡単に出会える対象なのだろうか。むしろそれは出会い損ねる場所なのではなかったか。出会い損ねの場所なのでなかったら、なぜ人はいまだに物語を欲するのか。ひとつの物語と出会えても、なぜ欲望は満たされないのか。満たされないからまだ物語を欲するのではないか。文学テクストを既知の物語へと回収し悦に入りたいという「物語化」の欲望は、そのような欲求不満をあくびのようにかみ殺す、暴力的な代償行為を誘発しているのではないのか。
掉尾を飾る木谷巌「「美感的なもの」の快楽と文学研究の現在」は、上のような問いを引き継ぐ形で展開する。つまり美や崇高のカテゴリー化にかかわる「美学」(aesthetics)、それから1970年代頃に生じた情動論的転回(affective turn)を経て美的カテゴリーに反省を迫る「美感的なもの」(the aesthetic)に関する問いである。まずバウムガルテン以来の美学の伝統をざっとおさらいしながら、詩や小説が美しいもの、崇高なものといった高尚な感情と深くかかわりをもってきた経緯が説明される。「新批評」で展開された批評は、こうした感性的な経験を排し、すべてをテクストの形式・構造として分析するというものだった。*4だが、果たして感性的経験を排して読むことなど可能なのだろうか。そのような「科学的な」読みへの志向性は、科学であるどころか、「美学イデオロギー」と呼ばれるべきなのではないか。木谷はド・マンの読みが「美学」の臨界を彷徨う「美感的なもの」に深く根ざしながら、「テクストを美の有機体」に見立てる傾向を批判していることを明らかにしていく。「美的なカテゴリーに内在する不安定性を隠蔽してしまうような志向性」は、他ならぬテクストを構成する言語そのものによって挫かれる。高村による「物語化」への欲望の批判は、「美学イデオロギー」の問いとぴたり重なる。物語化への欲望は、物語を構成する言語によって成就を阻まれ、不満を残す。このような予期したものとの出会い損ね、読むことの経験を記述する「美学イデオロギー」批判こそが批評である、というのが木谷の第一の結論だろう。だが批評は、文学史という歴史主義へも批判の刃を向ける。時間を時代区分によって分割し、作家をカテゴリーわけし、自己完結する文学史もまた「美学イデオロギー」の一形態に他ならない。このような文学史の解体の先には、歴史から逸れた「逸話」や一次資料の発掘によって解釈を絶えず刷新していく新歴史主義批評が待っている。だが、だからといって形式への問い(理論)が、歴史への問いへとすり替わったわけではない。歴史もまた言語の営みである以上、読むこと、感性的な経験から自由にはなれない。歴史にも、形式の完成や感動の達成への欲望と、それを阻む言語の冷徹な物質性との絶えざる格闘がある。だから、読むことに関わる以上、人間的な感情が埋めこまれた言語からは逃げられないし、読む行為に対する反省は欠かせない。これが批評という営為に対してとる木谷(とド・マン)の姿勢である。
反省は、経験から離れた知性的なものからは始まらない。読むことに対する反省を、あるいは読むという反省を促すのは、違和感や吐き気、怖気といった否定的な感情である。物語に感じる不満でもいい。なぜ不満なのか。あるいは、物語に感動し、涙に暮れるカタルシスを通過した後、一抹の不安や一握のわだかまりでも感じたなら、それが批評への出発点となる。あるいは、物語に感動しながらも、次の物語を求めてしまう事態でもいい。そのときのあなたは、その物語に満足しているとはいえない。なぜ満足していないのか。そう考える批評のきっかけをつくるために文学理論は存在している。理論は冷たいものではない。とても熱い。無感情なものではない。とても感性豊かだ。理論に対する反発、理論に対する毛嫌いという感情から、批評を始めることさえ可能だろう。ほら、理論からは逃げられない。わたしにはそう聞こえる。

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繰り言を少々。
ド・マンの章がふたつあるし、やれナラトロジーがない、新歴史主義がない、構造主義がない、マルクス主義批評がない、と文句を言いだせばキリがない。バランスを欠いた、網羅的とは言えない構成になっている。だが、文学研究におけるもうひとつの柱、文学史のことを思えばこの偏向もよく理解できるだろう。五〇年前の、女性作家やマイノリティ作家を無視していることができた牧歌的な時代ならいざしらず、文学史を網羅的に記述することはおろか、正統的な系譜を剔抉するのさえ難しい時代にわたしたちは生きている。今この時代に「網羅的にやる」と宣言することは、そこに働いている選別の過程に対する意識が及ばないか、あるいはそのような「完全版・決定版主義」をあからさまに標榜する自意識の漏えい以外のなにものでもないだろう*5。実際のところ、通常の書籍に課された紙幅の限りを思えば、「一冊でわかる」理論解説書など物理的に不可能であり、必然的に成果物は限られた分野に通暁する俊英が集ったコンピレーションとならざるを得ない。したがって、偏ったものを偏っていることを自覚しながら世に問う、というのがアカデミック・オネスティのあるべき姿であると、わたしは思う。*6本書を教科書*7として用いる教師であれば、本書の字面を追うだけではどうにもならないことは認識しているだろうし、本書の偏りを別の偏りでもって補完・批判・補正しつつ、また別の見方を提示する方法も心得ていることだろう。偏っているものだけが、「ひらかれて」いるからだ。
本書の意義について屋上屋を重ねておくなら、「危機」意識の復権だろうか。前書きで編者の木谷も熱く論じているように、危機(crisis)とはただたんに危険が迫っている(critical)ということをいたずらに喧伝する嘘つきの羊飼いの嘘なのではなく、危険を危険として察知しないような感性の鈍麻に対して「批評」(criticism)が介入する機会をもたらすトポスである。この意味でcriticalであるということは、およそ知性に恵まれた人間が象牙の塔にこもって研鑽を重ねるイメージにはそぐわない。危機の批評は、誰しもが備えている感情や感受性の次元に働きかけ、ありふれた経験に潜む感じることができなかったものに気づき、違和感を覚える契機をもたらす。本書が感性の問題を論じて閉じるのは決して偶然ではない。ジュディス・バトラーが『戦争の枠組み』で論じたように、われわれには、認識の枠組みだけではなく、なにを感じるべきか、なにを感じる必要がないか、という物事の感じ方を縛る規則が与えられている。初めてなにかを経験した時、それは未だかつてない興奮や悲しみ、やりきれなさ、喜びをもたらす。少なくとも幼年時代というのはそういうものだろう。しかし経験を重ねていくにつれ、新しい出来事は減っていくように感じる。平凡で平坦な毎日が続いていくように感じる。だが本当に新しい出来事はなくなってしまったのだろうか。もしかしたらそれは出来事を出来事として感じることのできなくさせるようななにかが、わたしたちにまとわりついているからではないだろうか。「危機感」とは、このような感性のあり方に警鐘を鳴らす「感性の危機」の謂いである。そして「危機=批評」とは、ひとり知性や教養のみに働きかけるものではない。無感覚(apathy)こそ、批評が動員されるべき最前線となる。
危機=批評は文学理論となんの関係があるのか。あるいは危機=批評は政治学社会学の仕事であって、そもそも文学とは関係がないのではないか。このような懐疑が、少なくとも英米文学の研究の世界に蔓延し始めて久しい。文学研究者を自称するものは数多いけれど、文学批評家を自称するのはなにやら奇異に映る。そのような風潮がある。もともと日本の英米文学研究は、文学作品を味読し、各自がそこから受けた感動を言語に表現するという傾向が支配的な学問分野である。新批評や構造主義脱構築、新歴史主義、ポストコロニアルフェミニズムといった英米圏における思潮が、そのときどきに応じて緩やかに雰囲気を変えてきた。しかし根本にある文学趣味はいつも時代もさして変わらない。溢れんばかりの書籍が新しい批評動向を捉えている。まるで文学理論が普及しているような錯覚を覚えるが、学者の圧倒的多数はそのような動静には無関心である。文学を趣味として捉える者より、学問的な精度を追求する者は、作家の残した遺稿や散逸した断片を丁寧に収集し、資料の発掘によって新しい作家像を提起することに汲々とする。特に十九世紀以前の時代を専門としている研究者は、このような資料主義の傾向を強める。もちろん、なんの手がかりもなく一般に出回っている作品だけを読んでなにごとか新鮮なことを論じるのはとかく難しいのだから、資料を読むこと自体をなおざりにすることはできない。だが、己の感動や作家へのオマージュを言葉にしたためる研究者や歴史的資料を書庫にこもって渉猟する研究者は、いったいどのようにして作品や資料を読むのだろうか。読む方法について考えることはしないのだろうか。読む方法について考えた先人たちを、ある作品の先行研究と同じように、参照する必要はないのだろうか。
だがわたしには、文学理論こそが裁判官である、などと主張するつもりは毛頭ない。文学理論が一種の方法論として流通し、読み方を縛ってきたように感じる人の感覚はおそらく正常だろう。理論は論じ方の紋切型を生産したし、どれを読んでも同じ経過をたどって同じような結論に至るアカデミックな「物語」として愛された。とかく知識や教養がすべての学会にあって、年功序列は拭い難い。だがたいして知識がなくとも、ひとつの理論さえ知っていれば論文は書ける。ひとつの「物語」でたくさんの物語を論じることができる。だから文学理論の登場は、少なくとも文学研究者から修業期間を撤廃し、学会はフロアの長老が壇上の若手に訓戒を垂れる場ではなくなる。そもそも、長老には文学理論などさっぱりわからないのだから、指を咥えてみている他ない。そこで、亀裂が生じる。「理論では文学はわからない」というのが、長老の決め台詞となる。
ここでもう二点、疑問が生じる。ではいったい、誰が文学をわかっているというのだろうか? そして文学理論とはほんとうにただの「筋書き」なのだろうか?
文学作品を味読する人も、書庫の住人も、文学理論を方程式として理解する新人類も、文学を理解する方法を知っていると強弁する長老も、それぞれ自分の感性に従って本を読み、自分こそが正しいと信じて論文を書いている。だがここにはある種の無感覚が蔓延している。無感覚とはなにも感じないということではなく、感性の限界を感じないということだ。読むということ、書くということは惰性に陥る。同じような物事、同じような登場人物、同じような表現ばかりに気をとられて、それ以外のものに注意がいかない。同じような物語に感動し、同じようなエピソードに涙する。すると同じような論文やエッセーを書いてしまう。自分のやり方を貫くにせよ、文学理論から方程式を借りて問題をきれいに解いてみせるにせよ、そこには読むことや書くことに関する反省の意識が欠けている。反省するためには、危機を《感じる》必要がある。反省はなんらかの事情で自分が感じているものが限られている、自分の感性が習慣に慣らされていることに気づくことから出発する。文学理論は、この無感覚の気づきを与えてくれる仮構された場所であると同時に、たくさんの先人が反省を繰り返してきた先行研究でもある。だから文学理論は参照し、批判する対象とはなりえても、答えを自動的に導いてくれる方程式にはならない。文学理論は《使えない》。
文学理論に答えはない。だが問えば、応えてはくれるだろう。危機感は、何処かに寄宿しなければ生きていけない、弱い感覚。文学理論はその感覚を寄宿させる仮宿に過ぎない。宿主を募りながら。
 『文学理論をひらく』。研究ではない。批評に向かってひらく。

*1:「享楽の盗み」に接合しようとしていたが、わたしとしてはゲイツのSignifyin(g)理論のほうがしっくりくる。

*2:他者に享楽を盗まれているという幻想の問題は確かに大きな問題ではあるが、当然そのような幻想の他者を規定する基準として視覚的な差異を無視することはできない。現在、白さや黒さを現実の肌の色を超えた、視覚的イメージの次元で考察する新しい人種研究も始まっている。

*3:高村が論じているような「物語化」の現象は、現代に特有の現象ではない。未知のものを既知のものの枠組みで理解しようとする、あるいは既知のものだけを理解しようとする傾向は、およそ古今東西どこにでも見受けられる現象である。この現象は「新しい」物語では乗り越えられないし、「新しさ」や「乗り越える」という発想そのものがモダンの機制、あるいはモダンに対する批判として働くモダニズム文学の文学観に依拠している。わたし個人としては、「物語化の欲望」も「新しさ」も普遍的な現象であるように思う。したがって、どんな物語も、そしてどんな物語化の欲望も、それに抗う「新しさ」も不完全なものであるために、人は決して満足できない、という点を強調したい。物語に、文学作品に満足していないことに気づくかどうか、つまり物語、ないしは小説や詩に対する読者の態度が問われるべきではないだろうか。前衛的な小説を読んでそれをわかったふりをするというふるまいは、定型的な物語を読んで痛快さを覚える自己満足と同格の関係にある。もちろん、難解な小説と《出会い損ねる》のはそれほど難しいことではないかもしれない。しかし、定型的な物語とも《出会い損ねている》ことに気づくことも、読むことと文学の大きな課題であるように思う。

*4:木谷は論じていないが、管見ではドイツ・ロマン主義は創作のみならず、文学批評の契機ともなった。やがて批評は、文学史と文芸学(Literatur wissenschaft)として制度化される。後者、文芸学は日本ではほぼ忘却され、これについて論じた文献はかなり古いものしか残っていない。文芸学はLiterary scienceと英訳されて、英米圏では流通した。わたしの直感では、おそらく新批評の論理的意匠・形式美優先の批評には、ドイツ文芸学の輸入による、狭義の「科学」という概念が深くかかわっているように思われる(ドイツ語に明るくないのだが、wissenschaftは「学」・「知」というニュアンスではないかと思う)。ロシア文芸学においても、文学を科学と考える傾向は強かった。一般的にロシア・フォルマリズムとして知られているロシア文芸学の展開は、マルクス主義の歴史主義との弁証法的対決の過程だった。どちらかといえば純文学作品に特化しがちな欧米のフォルマリズムとは異なり、プロレタリアート(労働者階級)革命を歴史の目的とするマルクス主義に対抗しなければならなかったロシア・フォルマリズムは、大衆文学の形式分析にまい進する、という独自の発展を遂げた。

*5:もちろん、それを一種の暴力だと自認したうえで敢えてやるのであればその戦略性は評価されるべきだと思う

*6:できるだけ偏りをなくそうとしてつくられる教科書が、読みものとしてどれほどつまらないかは言うまでもない。決められた分量を決められた範囲に杓子定規に割り当て、できるだけ多くの物事を扱う教科書は、あらゆる事象・人物・作品を抑揚なく平板に語る。

*7:おそらく教科書として企画されたものではないか、とわたしは思う。

生き物のサイエンス

現代思想』8月号「科学者」特集読了。原発問題やSTAP問題をとっかかりに、日本語における「科学」(つまり理系)の根源へと遡行し、(文理を横断する)サイエンス(知)を問い直すという趣旨の論稿・討議が並んでいる。つまりかくかくしかじかの問題は、本当に科学「だけの」問題なのか、ということだろう。おのおのの論者のスタンスは必ずしも調和しているわけではないし、ぶつかる点も多々あるかもしれない。しかし、科学認識論の観点から「科学」を反省するという意識はこの特集の通底器をなしていると思う。
この領域に関しては本当に真っ暗なので、新鮮な気持ちで読んだ。特にわたしのように科学史や科学認識論に関する蓄積のない人間にとって、本誌所収のふたつの討議はとっかかりとしては非常に有益だと思う。とりわけ科学者の内外で、科学は客観的なものであるという信念が崩れてきており、科学の知見も巷にあふれる言説と同様、操作的な側面が強くなっているという指摘に当面すると、一連の科学者に対するアカデミアの懐疑の目そのものをじっと見返すもうひとつの目と見つめ合ったような気がする。かつて理系側が人文系学問の非科学的な側面を糾弾したソーカル事件は、科学の客観性という地盤の上で起こった出来事だった。しかし世紀を跨いだ今、科学もまたある種の操作主義・構築主義であるとする知見が陸続と提出されているという。ソーカル事件の反転という事態から科学者の業界を見渡すと、果たして一連の騒動は個人の問題に還元できる類のものなのか、疑わしくなる。性善説でもって、学術的成果にあたる時代はもう終わってしまったと考えるべきだろう。*1
日本の科学業界にフォーカスすれば、ゲノム解析プロジェクトを嚆矢とするプロジェクト形式の研究体制によって起こる構造的問題が目を引く。COE、あるいは昨今のグローバル教育に典型的なように、大まかな枠組みをつくって予算を申請し、予算が降ってきてからその予算をちゃんと「消化するために」具体的な研究を進める、というスタイルが幅を利かせている。そのようなプロジェクト型の研究方式は、予算を集中的に投下し、研究拠点を限定し、そこからあぶれた機関や研究者には実学やビジネス教育を推奨する、という効率性と競争原理の強い構造を強いる。余った研究費を次年度へ繰り越すことが認められない、つまり単年度で一定の予算を使い切らなければならない、という単年度主義もプロジェクト型の構造の歪みに拍車をかける。予算を無理して消費(浪費)することにもなるし、毎年予算を使い切るために、毎年予算に比例したペースの研究の計画を立てるという倒錯が生まれる。理研は任期付きポストばかりだというし、プロジェクト型の予算配分と単年度主義が、こんな倒錯を生んで成果主義へと駆り立てているのかもしれない。お金を獲得し、お金を使い切るために研究の指針が決定される、という経済原理が「サイエンス」を貫いている。
このような文理の隔てをとっぱらったサイエンスを見つめるという意味では、STA(科学技術社会論)の役割はかつてないほど重みを増していると思われる。STAが理系の紹介役、それも杜撰な紹介役になってしまっており、科学をちゃんと問い直す役目を果たしていないという討議での指摘は無視できない。サイエンスを歴史化する中尾・田中・池田論文あたりは、科学の問題がアカデミアの構造的問題であることを理解する上で一助となるだろう。科学の各専門領域に踏み込むことは近接領域に生きる専門家でも難しいに違いないが、「科学とは何か」という問いを発する権利と能力は誰でももっているものだと思う。その意味で、科学(者)をめぐる問題は、決して理系の問題ではない。
さまざまな論文が並ぶ。どれも質が高い。とりわけ情報整理より知識に裏打ちされた発想に惹かれるわたしは、高橋さきの「「生きもの」だと宣言すること: 今日的サイボーグ状況をめぐって」を興味深く読んだ。論点はふたつあったと思う。ひとつは「生き物」とはなにか、という問い。もうひとつの問いは最初の問いに包摂される問いではあるが、技術と身体の関係である。
「生き物」について考えるにあたって、高橋は生物学決定論の言説が障害になると危惧する。「生き物」として人間や動物について考えるという枠組み自体が、すでにそれらを人工性や科学技術の枠外に設定するという古典的な誤謬を犯しかねない。無垢なる神の被造物としてのcreatureは人知を超えた神業、人間の技術の及ばない「自然」の奔流に掉さす。生き物は自然という所与の位置を獲得し、それ以外の後天的なもの、文化や技術と区別されるというのは特に説明の必要のないお馴染みの発想だといえよう。だがここで問題なのは、自然と文化の区別ではない。手つかずの不可触の自然というミニマムな身体性を世界の全体から控除したのちに残るようなものが文化として措定されるとひとまず仮定するとしても、歴史を振り返るなら、この自然の位置に座るものは絶えず廃位を繰り返し、様々な王を戴いてきたという経緯にもはや多言は要すまい。自然は人間には未だ触れることも叶わない要素を含みつつも、極めて構築的で操作的な概念である。だから文化と自然という区別を目の前にしたとき、わたしたちはその区別に「不自然さ」を看取する必要がある。自然と文化の区別によって生じるのは自然の聖域化というよりは、両者の区別の自然化である。これは自然が文化のように人為的な操作によって生じた嘘やでたらめである、という主張ではない。これは反本質主義的な観点ではない。自然と文化を区別するという思考法そのものが、より深く広く生き物について考察する機会を奪っている、というささやかな指弾である。だからこそ、ここでいう生き物とはcreatureではなく、lived lifeを指す。
技術と身体に関する議論もこの生き物に内包されている。マクルーハンのメディア論を嚆矢として、科学技術が人間の身体を拡張するものであるという議論はすでに人口に膾炙している。ダナ・ハラウェイのサイボーグ論も技術を身体の所与として捉えるという意味においてはメディア論の軌轍に沿うものであるだろう。しかしながら高橋が指摘するのは、身体拡張に逆行する物語の存在である。つまり、ジェンダーセクシュアリティに関する限り、技術は身体の拡張ではなく、自然な身体からある作業を切り離し外部委託するひとつの制度として語られる。女らしさの言説は、権利や財産、自己決定といった所有の言説と切っても切れないものだが、その所有が自然な不可侵の身体の所有という性格を帯びるのであれば、すかさず自然と文化の区分の自然化という亡霊が女の身体に回帰してくることになる。
マクルーハンの技術論とハラウェイのサイボーグ論を分かつものが、フェミニズム理論への目配りの有無だとすれば、後者の議論は技術の進展に女性の身体の解放を重ねるような単純なものとは言えない。技術が人間の生にとって必要不可欠なものになればなるほど、女性の身体は自然の領域として聖別される恐れが強まる、という自然化の亡霊に対する批判を維持するものとしてサイボーグ論を再考しなければならない。特に再生医療不妊治療を中心とする生殖の領域は、女性を自然化する言説の前線となっている。技術の進歩によって高齢出産や体外受精が可能になるとともに、女性の身体は産む身体として自然化される。そうしてみると「女は産む機械」というある元大臣の言葉は、粗野な女性差別的暴言として片づけるわけにはいかなくなる。この「女は産む機械」発言に対する反発には二種類あるだろう。まずは女は機械ではないというもの。そして女は産むだけの生き物ではないというもの。だが「生き物」による批判は、「女は産む機械」という発言が、その機械という反自然的な響きとは相反して、産む身体としての女性の身体を産まない男性の身体から区別したうえで、その区別を「機械的に」自然化してしまう点に向かうはずだ。
自らを生き物であると宣言したからといって、セクシズムや優生学、人種主義を超越することにはならない。むしろ「生き物」の思考が撃つのは、身体のあり方や本能のような自然と人間中心主義的な文化との区別を「機械的に」想定する、差別の根源を占める思考の枠組みに他ならない。動物や機械、無機物、技術といった、人間「概念」を外的に構成する他者の位置を占めるとみなされてきたものすべては、人間という「生き物」と骨絡みとなった仲間(companion)である。人間を構成すべくそれ以外のものを他者として区別する「人間」という治癒不可能な病とつきあうために、わたしたちは「生き物」として思考しなければならない。
そう、高橋論文がわざわざ「参与観察」という文化人類学のタームを用いて論じ始めるのは、人間という位置は生き物を外側から観察することができる場所ではないからだ。ジェイムズ・クリフォードに端を発する参与観察の問い直しをここに重ねてもいいだろう。参与観察は、ネイティヴ・インフォーマントの共同体のなかに住み、内側から観察すると、「彼ら」の自然な生活を記述することができる、という信念に支えられた科学的方法だった。しかし観察記録とは別に保管されていたマリノフスキーの日記等が明るみに出ると、客観的とは言い難い文化人類学者のあられもない姿が浮かび上がってきた。原住民に対する差別的な言辞を始めとする人類学者の心の揺れ動きが。そのような人類学者によって書かれた観察記録が果たして客観的な記述と言えるのか、という疑問が当然浮上する。また日記と観察記録を区別することができるのか、とよりラディカルに問うことも可能だろう。ここに至り参与観察は、より正確な記述を心がけるための科学的方法論であるというよりも、対象を設定し客観的な位置から眺める観察という科学的方法が一定の限界をはらむものであるということ、つまり観察する主体さえも観察対象として巻き込まれてしまうような事態を予め織り込んだ方法論であることが明瞭となる。
高橋が敢えて自らの論稿を「参与観察」と呼び、自らを「生き物」の当事者であると宣言するとき、わたしは否応なく生き物のフィールドに巻き込まれる。科学者の倫理とは、まず科学者が完全に客観的な位置に立つことができないことを自覚し、たとえ対象がマウスであろうと、ミミズであろうと、それらのすべてを同じ「生き物」の地平で捉えるという意識を持つことだろう。もちろんだからといって、客観が棄却されてしまうわけではない。客観を目指すことと客観の位置にいることを信じて疑わないというのはまったく別のことだというだけのこと。科学とは客観を目指す精神のことであり、客観的な目ではあり得ない。客観的な科学と主観的なわたしたちの日常、といった荒っぽい区別を自然化して、わたしたちの手から科学を手放してしまわないように。生き物の参与観察は誰にでもできる「サイエンス」なのだから。

*1:もちろん、わたしは論文という形式、研究という形式は、読者を論理的に説得するための形式である以上、「真実」を目指さなくてはならないとは思う。ただその「真実」は、かつての客観のような基盤の役は果たさないだろう。それはある程度、歪みや設計ミスを内包した足場のようなものになるに違いない。主観から出発しつつも、主観からできるだけ遠ざかり真実へのルートを示す、できるだけ強固な足場を組まなければならない。この足場を組むプロセスを軽視し、「真実」まで至る経路を築き上げていないもの(説得力の弱いもの)は学術としての価値は低い。さらにそのような疑似的な足場に、天然の岩盤を模した覆いを被せて自然化する偽装工作(説得という操作を意図的に間引いたり、剽窃したり、隠蔽したりするもの)は、当然学術の名に値しない。